最近、政府主導で最低賃金の引き上げが容赦なく行われてきています。彼らの基本的な考えとして、最低賃金程度も賃金を上げられない企業はつぶれてもらい、付加価値の高い業界に人材を移転させようとの意思があるようです。しかし、本当にそれで良いのでしょうか。

優秀な人はそもそも、どこでも移れるので、はなから最低賃金など関係ありません。能力があまり高くない人は現実問題として、それに見合った仕事につくしかありません。このまま企業淘汰が進んでしまうと、本来時給1000円なら見合う仕事というものが無くなってしまいます。つまり、時給1500円に見合う仕事しかなくなってしまうということです。時給1000円の能力しか無い人はどうすればよいのか、教育訓練を施すことにより、1500円の能力まで上げられるのか?大きな疑問です。このまま行くと、時給1000円の能力しか無い人は行き場を失い、1500円以上の能力の人は奪い合いになるでしょう。(人の能力を時給で換算するのは良くない事ですが、現実的には現在の時給1500円の議論ではこれが争点になると考えられます。)

政府で政策を立案している官僚には人は生まれながら能力に大きな差がある。という当たり前のことがわかっていない。もしくはわかっていても理想論を語り、能力の低い人のことは知らない。という考えなのかもしれません。

京セラの稲森さんの石垣理論では、小さい石があってこそ、大きな石が生き、強固な城壁が出来る。お城の基礎が出来るという考えです。このまま行くと、小さな石はお城の工事現場に持っていく前に選別され、捨てられるという事態にならないものか、心配になります。

一方で、小さい石も1500円で雇ってあげれば良いのではという意見もあります。これを進めると非常に高価な石垣となり、お城の値段が高騰してしまいます。日本中で高騰すれば、国全体の物価が劇的に高騰することになります。日本は世界と競争しています。高騰したお城で世界と戦える力をつけなければ当然、淘汰され、その城は廃墟となり、すべての石ががれきになってしまいます。大きい石は他の城で再利用されますが、小さな石はそのまま、打ち捨てられるでしょう。企業だけでなく、弱い個人までもが恐ろしいまでの競争にさらされることになります。はたして、これが良い国なのか、どうなのか、ここをしっかり議論する必要があります。日本はどんな国になりたいのか、そろそろ、方向性をはっきりさせる時期に来ているのではと思います。

例えば西ヨーロッパでは、安い牛丼なんてのはありません。すべてが高価です。お昼に外食などすると、すぐ5000円が飛んでいきます。ヨーロッパの若者はめったにレストランなど行けません。そういう国が良いのか、いくらでも安い屋台がある東南アジアの国が良いのか、ようするに選択の問題です。

一般論はさておき、COSYの進む方向としては、当然付加価値が取れる商品、サービスを開発し、時給1500円よりずっと良い時給を実現する。ただし、小さい石とは言え、優秀な人が来てくれる会社にする。これしか無いのだと思います。

おそらく世の中は安い牛丼など無くなり、気軽にランチを食べられない、すべてが高い世界になると思います。まあ、それも国民の選択です。あなたはどんな国に生きたいですか?

例えばスイスは人口が少なく、腕時計、医薬品など非常に付加価値の高い商品を世界に向けて販売しています。レストラン、食品、すべてが高価格で最低賃金も3000円近いと聞きます。これがはるかに人口の多い日本で成り立つかは疑問です。日本では、人口も少なくして、高付加価値化を進めるのは容易ではありません。ましてや労働力不足と言って、海外からスキルの無い外国人を大量に入れていると、スイスモデルなど実現できません。

ここで仮に時給2000円になった日本、スキルの無い外国人が大量に流れ込んだ日本を想像してみましょう。(私は外国人排斥論者ではありません優秀な外国人はどんどん来てもらうべきと考えています。)

牛丼一杯1500円、最低生活費が50万円になったとすると、時給2000円でもあまり幸福感は得られません。時給1000円の能力しかない日本人は時給2000円の仕事を得るために時給2000円の能力を持った外国人と競争しなければなりません。スイスでは羊の世話をするとかすれば、たとえ現代産業時代の能力が低くても仕事があり、スイスの最低時給円がもらえます。国としてどういう国にしたいのか、時給1500円は単に額面収入が増えてうれしいというだけの問題じゃないと思う今日この頃です。国家としての長期戦略が今ほど重要になってきている時代は無いのではないでしょうか。(それにしても政治家がだめなら、日本の官僚もっとがんばれ。)